[부산=NSP통신] 와카나 인턴기자 = チュ・ジェヨプ陽川区長の拷問疑惑事件が、新しい証拠提示により、裁判所の最終審判を残した段階で新しい局面を迎え、その行く末が注目されている。
ソウル高等刑事6部(部長判事 ジョン・ヒョンシク)控訴審裁判部は先月1月9日、チュ・ジェヨプ陽川区長に公式選挙法違法などの嫌疑で懲役1年3ヶ月の有罪を宣告した。チュ・ジェヨプ陽川区長は、控訴審の判決について、「悔しい」との思いを胸に、先月1月24日裁判所に上告した。
また、チュ・ジェヨプ陽川区長を告発した在日3世のキム・ビョンジン氏は、現在まで「チュ区長が在日のユ・ジギル氏の拷問に加担した」と主張している。
しかし、チュ区長側は、「イ・ジェハク前陽川区長の大学同窓であるキム氏の主導でありキム・ビョンジン、ユ・ジギル氏がお互いに共謀したという濡れ衣を着せられた」と主張しているが、キム氏は、「もしチュ・ジェオプ氏が本当にそう考えているならば、それは大変残念だ」、また「しかし韓国の司法機関はそんなに甘くない」とチュ区長側の主張を一蹴した。
これについて、NSP通信は、チュ区長が事件との関連、新しく提起されている疑惑と証拠が提起されている2010年から最近までの約3年間の▲チュ・ジェヨプ、キム・ビョンジン、ユ・ジギル氏とその周辺の人物に関する密着取材内容、▲裁判過程で新しく明らかになった関連者などの陳述内容、▲取材の中で、提起された解けない謎を追跡し整理した。
◆チュ・ジェオプ区長の拷問疑惑、発端から1・2審有罪申告まで
チュ・ジェオプ区長の拷問疑惑は、2010年6月2日に実施された第5回全国同時地域選挙で、陽川区区長として民主党イ・ジェハク候補、無所属チュ・ジェヨプ候補の本格的なものとして提起された。
当時イ・ジェハク民主党候補は、無所属チュ・ジェヨプ候補を8181票の差で勝ち抜き、陽川区長として当選したが、選挙過程として2006年におこなったインターネット記事を引用して、チュ候補の過去保安司勤務時シン某教授の拷問加担内容を配布した問題が浮き上がり、チュ・ジェハク氏側から訴えられた。
この時の裁判結果によれば、2011年6月30日からイ・ジェハク前陽川区長に罰金250万ウォンの刑を最終確定し、イ・ジェハク氏は、陽川区長職を奪回された。その後2011年11月26日に終えた陽川区長再選挙でイ・ジェハク前陽川区長の妻である、キム・スヨン民主党候補と、チュ・ジェヨプハンナラ党候補が再度争うことになった。
今回はチュ・ジェヨプ候補がキム・スヨン民主党候補を得票数10.5%の差で上回り、陽川区長に当選した。
そのため、イ前陽川区区長の秘書室長を勤めているパク氏と在日のキム・ビョンジン氏などがチュ・ジェヨプ陽川区長を公式選挙法偽証罪・情報通信方違反罪等の容疑で告訴・告発しチュ・ジェヨプ、イ・ジェハク氏両氏は、2度目の法廷訴訟に立つことになった。
訴訟結果、チュ・ジェヨプ氏の事件を審議する1・2審裁判所は、ユ・ジギル氏を直接尋問せず、チュ区長に懲役1年3ヶ月の有罪判決を告げた。これをうけチュ区長側は、先月1月24日裁判所上告と共に、2審裁判所が見落とした新しい証拠を提示、無罪を主張した。
◆新証拠「ユ・ジギル氏、チュ氏の姓さえ覚えていない」…対するキム氏、「それもあり得る」
現在チュ区長側は、「2008年過去歴史調査委員会の調査当時ユ・ジギル氏は、チュ・ジェヒョプ氏の“チュ氏”姓すらも覚えていないだろう」
チュ区長側の提供した情報によると、2008年7月17日、日本の岡山県シティホテルでのミーティングルームで、当時イム過去歴史調査委員会の調査官は、ユ・ジキル氏に8時間にも及ぶ調査過程での中で、「保安司の資料によると、キム○○、キム○○、ユン○○、シン○○、チュ・ジェヨプなどの捜査官らが参加していたといっているが、この中に見覚えのある名前はあるか」と質問した。
そこで、ユ・ジギル氏は、「一人いる。姓が“シン”の捜査官を覚えている」とし、「彼は背が高めで細身、年齢は40代くらいだった。彼は、とてもきつい拷問をした」と述べた。
現在チュ区長側は、「2008年過去歴史委員会の調査では、ユ・ジギル氏が1985年6月8日から38日間保安司から調査を受けた後、初めての韓国政府機関から調査を受けた記録で、要点としてはユ・ジギル氏が、チュ・ジェヨプ氏が過去保安司捜査官という事実さえも覚えていなかったこと」と主張した。
それから、チュ区長は、「このようなユ・ジキル氏の直接証言は、1・2審判決を覆すことが出来るユ・ジギル氏の新しい直接証言である」とし、「2008年は、イ・ジェハク氏側と法廷訴訟で、対立する前の利害関係が形成される前であるために、このときのユ・ジギル氏陳述は、嘘の無い、重要な証言だ」と話した。
しかし、チュ区長事件の新しい重要人物として浮かんでいる、イ前区長の大学同窓であるキム氏は、2008年、過去歴史委員会調査当時、ユ・ジギル氏がチュ・ジェヨプ氏を覚えていないことと関連して、「それは、ありえるかもしれない」とし、「主なポイントがそうではないため、覚えていない場合もある」ことを明らかにした。
2008年当時、ユ・ジキル氏を調査していた過去歴史調査委員会のイム調査官は、当時ユ・ジギル氏を尋問した内容と関連したNSP通信の事実確認について、「ユ・ジギル氏関連内容は、答弁できない」と取材拒否の意思を明らかにした。
チュ区長側は、イム調査官のNSP通信取材拒否と関連して、「イム過去調査委員会の調査官は、イ・ジェハク氏が2010年6月2日陽川区長に当選した後、イ・ジェハク氏による陽川区生涯教育センター所長に任命されたイ・ジェハク氏側の人間であるためだ」とし、「イム氏は、検察調査として、重要な状況で、偽証した」と指摘した。
◆チュ区長側は、「ユ・ジギル氏の記憶がおかしな時期がある」…相手側キム氏「はなしにならない」
現在チュ区長側、「イ前陽川区長の大学の同窓であるキム氏の指揮下も在日のキム・ビョンジン氏がユ・ジキル氏の記憶がおかしいという証拠として、ユ・ジギル氏の証言と接触した後に、変わった」という、事実を指摘している。
これにキム氏は、「チュ・ジェヨプ氏側の主張について、私としてはおもしろい」とし、「彼らが提出した資料をみると、イ・ジェハク側の関係者が監督であり、キム・ビョンジンが主演であり、ユ・ジギルが主演で、そうすることで濡れ衣を着せられる人が生まれたというが、これが正しい話なのか」と、区長側の主張を一蹴した。
また、キム氏は「2012年12月キム・ビョンジン氏に会うために、私が日本に言ったことは、周知の事実である」とし、「このとき、チュ・ジェヨプ氏がユ・ジギル氏の拷問に加担したという陳述を受けるために行き、キム・ビョンジン氏は、過去保安司の本に筆を執ったときから、すでにこの点を証言している」と述べた。
しかし、チュ区長側は、「ユ・ジギル氏は、2008年7月17日からイム過去歴史委員会調査官に調査を受けた当時には、自身を尋問した保安司捜査官として唯一にシン捜査官だけを覚えているだけでチュ・ジェヨプ氏を含めた誰も覚えていなかった」と説明した。
チュ区長は、「突然キム氏が2010年12月チュ区長がユ・ジギル氏の尋問に加担したという陳述を受けたため、日本ではキム・ビョンジン氏に会った後である2011年10月21日と25日に、突然自身を直接尋問した保安司捜査官としてチュ区長を指名し、詳細を説明された」と指摘している。(本報2011年10月21・25日ユ・ジギル氏関連記者参照)
現在ユ・ジギル氏は、2012年12月と2013年1月彼の証言の事実関係の確認をするため、日本を訪問したNSP通信記者の取材を拒否した。
さらに、チュ・ジェオプ事件を審議する国内裁判部の司法共助要請として、ユ・ジギル氏を調査したアサノマユカコ岡山検査の陳述調査作成に自身の陳述と関連し、サインを拒否したなど、ユ・ジギル氏は実際に2008年過去歴史委員会の陳述とキム・ビョンジン氏を通じて、認証している陳述などをお互いに照らし合わせ確認しているが、どの点も筋が通っていない。
特に、キム氏は、最近NSP通信との電話で、ユ・ジキル氏がチュ・ジェヨプ氏と関連した証言を繰り返していることが明らかになるのを恐れてNSP通信の取材を断ったのではないかという言及に対し、「ユ・ジギル氏側で話を参照するようとの助言をしたのでしょう」と述べた。
さらにNSP通信が、「それでは、会うなとも言われたのか」との問いには「必ずそう話したのではなく、どのような方向で記事を書くのかということでしょう」と述べた。
しかし、NSP通信は、北海道に移住するジキル氏の実兄であるユ氏に、「ユ・ジギル氏が過去保安司の不法拘束と拷問を経験したことは、胸が痛いことだが、ユ・ジギル氏のこの間の証言が正しいのであるならば、なぜ自身の映像の証言を単独報道した言論者の取材に応じられないのか」と切に取材依頼を要請した。
これにユ氏は、「すでに弟が過去に調査を全て受けており、この調査では保安司と関連した事実を全て話しし、過去の記録を振り返り予測し見れば、事実がわかる」と話した。
◆ユ・ジギル氏顧問主張捜査5係 、チュ区長勤務約1ヶ月…「新参に拷問?」
NSP通信が単独入手したチュ・ジェヨプ区長の過去の兵役記録によると、チュ区長は1976年5月8日に入隊し、1981年9月30日陸軍中佐を勤め、1981年10月1日から1985年10月14日まで保安司に軍務員で48ヶ月間勤めた。
また、1981年9月30日陸軍中佐として回った後、仕事陸軍中佐で全域以後の兵役記録を詳らかによく見れば ▲1981年 10月 1日から 1982年 7月 7日までの 9ヶ月の間、保安司令部 3次部捜査官でとして保安司令部で勤め ▲1982年 7月 8日から 1984年 9月 14日まで、金浦空港保安司紛失で検索官として 26ヶ月勤めた、
また ▲1984年 9月 15日から 1985年 3月 10日まで約 5ヶ月間はキム・ビョンジン氏と同じ保安司大公先捜査科捜査1係内勤職に勤めた。
また、ユ・ジギル氏を捜査するようになる保安司大公先捜査と捜査5系では、▲1985年3月11日から、4月20日まで6週間の対共捜査専門教育をした後である1985年10月14日まで約6ヶ月間勤める。
したがって、ユ・ジギル氏が1985年6月8日保安司で調査を受ける前までに保安司の捜査官としての総経歴は、10ヶ月で、このうち9ヶ月は保安司令部勤務であったため実際に保安司大公3次捜査と5系には、約1ヶ月勤務した状態だ。
また地点は、チュ区長の軍歴記録として同時保安司捜査官を総指揮していたパク将軍、また数名の同僚捜査官たちの事実関係確認書による事実として覆されている。
◆ユ・ジギル氏の証言の信憑性
NSP通信の取材結果、チェ日本岡山前・民団団長、キム現・日本岡山民団元老、 前・民団事務員などは、「ユ・ジギル氏が1985年6月8日保安司に不法逮捕された後に釈放され、日本岡山の家に帰った当時、日本岡山朝総連から大大的な歓迎とともにパーティーを楽しんだ」と証言した。
特に NSP通信の日本取材で当時のチェ日本岡山民団団長は 「当時ユ・ジギル氏はユ前・民団団長の情報提供で、保安司に逮捕され、釈放された後に朝総連人士のみと近い関わりを持ち在日韓国人社会特性上、ユ・ジギル氏と交流することができなかった」と述べた。
したがってチュ区長側は、「在日の同胞によれば、 過去に保安司の不法拘禁と苛酷行為を経験した後に、朝総連係へ転向したことが確実と確認されたユ・ジギル氏が、保安司勤務経歴があるチャン区長に対して正直な証言をする立場ではない 」、また「 真実はユ・ジギル氏がチュ区長をまったく覚えていないことだ」と語った。
またチュ区長側は、「日本在日韓国人によれば、ユ・ジギル氏が現在体調が良いとズボン社長たちを立て、社債業を岡山で活発に運営しているかたわら、1998年4月に初めて手術した喉頭癌を口実に裁判証言しなかった」、また「実際ユ・ジギル氏の裁判証言が予定された2012年8月20日も、ユ・ジギル氏は在日韓国人中某さんの家に弔問行って夜を明かし、 21日葬式まで参加した」と、また病気の後遺症で健康状態が良くないというユ・ジギル氏側の主張を正面駁した。
実際にNSP通信が岡山へユ・ジギル氏家を取材した当時、ユ・ジギル氏と40年間親しく過ごしたというユ・ジギル氏の隣家の日本人男性によると、「ユジギル氏はタバコをたくさん吸ったために喉頭癌手術をした」と明らかにした。
しかしこの事実を伝えて聞いたユ・ジギル氏の実兄である北海道在住のユ氏は、「弟の友人のそのような発言は、個人のプライバシーを尊重する日本社会特性であり、弟が後遺症であることを気遣い、タバコだと伝えたのでしょう」と述べた。
◆チュ区長側のキム・ビョンジン陳述繰り返し、信頼性ない…キム氏 「キム・ビョンジン」ユ・ジギル陳述信頼する。
1983年キム・ビョンジン氏をスパイ疑いと被検し、直接審問に参加した当時、その某保安司捜査官は、2012年裁判に出した嘆願書に「キム・ビョンジン氏は1983年スパイ疑いに被検され、同人の情報提供によって在日上部層であるソさんが確認され、キム・ビョンジン氏のソ氏誘引の入国工作協助としてソ氏を検挙した」ことを明らかにした。
しかしキム・ビョンジン氏は、NSP通信とのインタビューで 「私は保安司の不法拘禁によってスパイとして動いたし、ソ氏の誘引に協調したという保安司の主張は偽りだ」、また「私は保安司によって強制的に捜査官として勤めた」と自分の悔しさをあらわにした。
キム・ビョンジン氏は、「 私は、過去保安司の主張のようにスパイではない」と自分の証言の信頼性を強調した。
しかしキム・ビョンジン氏は、自分が著わした保安司本とチュ区長関連裁判で、保安司捜査官数を最初の 5~6人から11人まで証言をくり返し変更し、5人の捜査官を表に出さなかったことは、故意的だったことを裁判で認めた。
またキム・ビョンジン氏は、ユ・ジギルさんを直接審問した保安司捜査官、パク・、キム2人の記録を意図的に隠していたことも公判過程で認めた。
特に、キム・ビョンジン氏が記した保安司本の20ページには、当時保安司捜査 2係の捜査官は合わせて11人で、この中で学院班という5人の捜査官で構成された審問チームがあるという記録と、保安司本181ページには当時捜査の2係、3係、5係には審問チームとは別に運営される外部チームの外勤事務所があったという記録を調べたとき、キム・ビョンジン氏は当時、保安司各捜査係が捜査係長を含む審問チーム5人、外部チーム 5人の合わせて11人の捜査官で構成されたということを知っていたにも関わらず、故意的に保安司本で捜査5係捜査官を6人のみ表に出したうせに、パク、キム某捜査官の身分は隠していたことが裁判で明らかにされた。
これにより、チュ区長側関係者は、「2008年過去歴史委員会の調査や保安司の兵役記録そして当時の捜査官たちの証言とキム・ビョンジン氏の法廷での陳述が何度も変更されたことなどから考えて、チュ区長がユ・ジギル氏拷問に直接加わっていなかったという真実が見えてきた」とし、「チュ区長は、イ前陽川区庁長の側近であるキム氏によるキム・ビョンジン氏の作業を通して、顧問捜査官としての濡れ衣を着せられている」と述べた。
しかし、イ・ジェハク前陽川区庁長の大学同窓である金氏は、チュ区長側の主張を一蹴しながらも、「私はキム・ビョンジン氏が嘘をついたとは思わない」、また「 私は、チュ・ジェヨプ氏がユ・ジギル氏の拷問に加担したというキム・ビョンジン氏とユ・ジギル氏の陳述を信頼する」と述べた。
一方で、チュ区長側は、来たる20日まで最高裁判所に上告理由書を提出しなければならない。最高裁判所も4月9日までに今回の事件に関しての判決を出したい状況である。
今回の判決によって、新しい証拠たちを提示したなど、悔しさを訴えているチュ区長側と、つじつまの合わない証言を繰り返し、裁判長に直接出席しないにもかかわらず、一貫して顧問被害者だと主張するユ・ジギル氏側の明暗が変わるように見える。
와카나 NSP통신 인턴기자, wakana@nspna.com
<저작권자ⓒ 국내유일의 경제중심 종합뉴스통신사 NSP통신. 무단전재-재배포 금지.>